突然耳が聞こえなくなって入院した話

2015年5月に胆石が見つかり、その後胆嚢を摘出する手術をした。

ingchinko.hatenablog.com
今年2017年3月、奇しくも前回から二年も経たないうちに別の病気で入院する事になりました。
これはその時の備忘録がわりの記事です。

 

3/15
「耳がずーっとゴォーっていってる 花粉かなあ」というツイートをする。
前日、右隣に座る父親の声が聞こえにくくなっていたが他の音は聞き取れたので、気のせいかと思って寝た。そして翌朝、音が聞き取れない事はなくなったが耳鳴りは激しくなっていた。
耳鳴りが始まったのはおそらくこの日の1週間前くらいだったが周りに相談したところ「耳鳴りは疲れればよくあるし、ほっとけば治るんじゃない?」と言われたので普通にほっといた。結果、聞こえなくなってしまった。
ちなみに花粉かなあというのは花粉で耳が詰まってそのせいでおかしな耳鳴りが聞こえるような気がしてるのでは、と考えた上でのツイートだったが今思えば花粉なわけねーだろ!!

仕事終わりにかかりつけの耳鼻科へ行きヘラヘラしながら診察してもらう。
なんかぁ低い音が聞こえなくて耳鳴りもすごくて~エヘヘとヘラヘラしながら話す。
聴力検査へ案内される。
結果、やっぱり低音だけが異様に聞き取れてなかった。
診断後何もわからないまま上を向かされオペラグラスのようなモノで視界を覆われる。目眩の検査だったらしく、目眩の症状もあるね…と言われたが自覚がなかったので、め、めまい???と口を開けたまま呆けていた。
「もしかして自分が目眩起こしてるってわからない?」と聞かれ全くわかりません!!!と即答。
年明けから平日は出勤、土日はコンサートの遠征もしくは仕事しかしてない状況だったので貧血や寝不足は日常茶飯事だし…という感覚であったため、目眩に気づけなかった。
低音障害型感音難聴もしくは突発性難聴と診断され、先生がカルテに《めまい:自覚症状なし》と記すところを見ながら「明日朝イチで大学病院へ行くように」と強く言われ紹介状を受け取った。

職場が繁忙期のため、明日休めないんですけど…と抵抗するものの無駄に終わり、諦めて職場へ戻り翌日〆切だった案件を提出し帰宅した。


3/16
普段仕事へ行くよりも早く起床し、電車に乗り大学病院へ向かう。
建物がデカすぎて入口がどこにあるかわからず迷う。
名前を呼ばれ診察室に入ると前日したような聴力検査をする。淡々と検査が進み、しばらくして先生と対面。
診断結果は【めまいを伴う突発性難聴】と病名をもらう。
ここでも軽くめまいの診断をされたがやっぱりめまいの症状はあったらしく自覚ないの!?と驚かれた。忙しいとオタクはめまいに気づけない。
薬を服用し様子見、との事で大量の薬(2週間分)を処方され帰宅。
食欲が増進されるステロイドと利尿作用が激しいクッッッソまずい飲み薬を処方され地獄を見る事になる。

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3/18~19
大量の薬を持参し静岡へ。コンサートです。
初さわやかを経験し公演も楽しく全然病気感ない~ガハハ!とたかをくくっていると、帰りの新幹線で突然の目眩と耳鳴りに襲われ年下の友人に看病してもらい帰宅。すみませんでした。


3/20
友人と遊びに出かけてたら血尿が出る。不安になり大学病院に電話するもわかんないから様子見ですね、で終わる。
その後友人と普通に焼肉食べた。最高。
後日近所の内科へ診察してもらうとステロイドの副作用のため尿道が炎症を起こしたとの事。
ツイッターで相談し友人数名に尿管結石じゃない?と言われた時の返信が気に入ってる。

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3/22
劇団☆新感線 ~Vamp Bamboo Burn!~ 発売日でした。
今回の病気とは一切関係ないけどおすすめです。みてね!!


3/24

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処方された薬で遊び始める。


3/27
大学病院で診察。
処方された薬を服用して2週間様子見、との事だったが難聴は一向に治らなかったため再度聴力検査をする。やっぱり聴力は全く戻ってなかった。
その他更に精密機械っぽいもので検査。
全てを終え診断結果をデスクにひろげた先生、「入院しようか。」
!?!?!?!?!?!?!?!?!?!
女性の先生超怖い!エッ…入院はちょっと…と返事に躊躇っていると
「入院すんの?しないの?私ならするけどね」と圧をかけられた。怖い…
お金もないし仕事も忙しいし本気で嫌だったけど先生の圧に負け、じゃあ…入院します…と返事し翌日から入院が決定!!

また診察が終わってすぐ職場に向かい、入院に備え明日やろうと残してた仕事を上げる。


3/28~31
28日朝、入院手続を行い6人部屋へと案内される。
入院自体は2回目だったが前回は緊急入院だったため手続きを自身で行うのは初めてだった。めんどくさいし結構待たされるんだね。
入院の目的は療養という形だった気がする。

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血管拡張する点滴を2時間、その後ステロイドの点滴2時間を毎日。
じゃあ4時間は点滴なのか~大変だな~と思ったけど、よくよく考えたらその4時間以外は特にする事もない!!
しかも4時間って聞いてたのに実質2時間ちょいで終わる!暇すぎ!!!
これ通院でもよかったじゃん…とこぼしたら、通院にしたら仕事するでしょ?療養のための入院なのでゆっくり休んで下さい。と言われたので大人しくお見舞いで友人が買ってくれた3DSのモンハンをプレイして過ごした。
でも友人数名がお見舞いに来てくれたのは最高にテンションが上がりましたありがとう好き!
そして食事制限はない入院だったのでふつうに美味しい入院食を食べました。太りました。
まあ入院2日目くらいで完全に聴力戻ってたんだけどね。


4/1
ダダをこねて無事退院する。
病院を後にする際、またも大量も薬を処方された。(以降サボりまくる)


それからは週1通院を1ヶ月もしないうちに終え、地元の耳鼻科に戻りました。
再発する可能性は高いらしく、今も頻繁に耳鳴りは起きているけど難聴は特になし。これからも半年に1回聴力検査をする予定。

今回耳が聞こえなくなった原因は不明。突発性難聴自体が原因不明の病気らしいけど、耳鳴りや難聴はやっぱりストレスや疲れで左右されるとのこと。
毎日好きな事してるし楽しいしストレスを感じてなかったけど、身体的にはダメージくらってたっぽい。目眩に続きストレスも自覚症状なし!
(入院前美容院に行った際、病気の事をなじみの担当に報告すると「全然ストレス感じなさそうなのに!」と言われた。最高。)
ちなみに退院して一週間後の4/8にはコンサートのため北海道へ行きました。

 

それから数ヶ月後、Kinkiの剛くんが同じ症状になったときいて勝手に親近感が湧いてしまった。あと今年突発性難聴になった人のツイートめっちゃ見かけたけど流行ってたのかな…流行りに乗ったぜ〜イケイケギャルだぜ〜〜
みんなステロイド処方されて感染症やむくみや食欲増進に悩まされたかと思うんですけどどうやって乗り越えたんですかね?わたしは目玉が飛び出そうになるくらい体重が増えたので半年かけて落とそうと頑張ってます。ラーメンおいしい。

 

総括

突発性難聴のここがダメ!

  • 耳が聞こえなくなる!
  • 入院、通院、薬代でお金が飛ぶ!
  • 血管を広げる点滴が地味に痛い!
  • ステロイドで膀胱炎になりやすくなる!
  • ステロイドで超太る!

突発性難聴のここがイイ!

  • 特にナシ!!!

 

誰でも突然かかる病気だそうなので、みなさんもお気をつけください。
難聴が始まって二週間以内に治療しないと完治できないらしいです。間に合って良かったな〜

 

 

おまけ

入院食メモリアル

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担当アイドルのアイプロが終わった

 

前回の記事のアンサーってほどじゃないけど

自分用メモのつもりで記します。

ingchinko.hatenablog.com

楽しめるか自身がない、そもそも楽しむ資格はわたしにあるのか…
と散々悩んでたアイプロ前だったけど、
結果としては超楽しんだ!!!

前回の記事に対して「楽しめるといいな」と言って下さった方がいらっしゃったので、楽しめたよー!っていう気持ちを記すためだけなのでアイプロの内容についてはあんまり言及はしないです。
でもこれだけは言いたいから言うんですけどめっちゃ泣いた。

 

今回、彼女の成長過程を見て取れる事が最大の魅力であり自慢でもあるんだな、と由愛Pは誇らしく思いました。
事務所に来てすぐは人見知りしてたものの少しずつPに心を開いていき、しばらくすると自身とPとママの内輪で楽しく前向きに活動するようになった由愛ちゃんが、たくさんの時間をかけて徐々に、徐々に友人や仲間を作って外の世界に出てアイドルとしての自覚を持ち、かつアイドルの活動を楽しむ事ができるようになって…
そして今回のアイプロで、ステージに挑もうとするシーンでは本人の言葉で強い意志を聞けた事が嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。
「ひとりでも、頑張るの…!」と言ってた少女が
「ひとりじゃないから、大丈夫。プロデューサーさんとみんなが…そばで支えてくれています」と言ってステージに向かったんだよって
全世界の人に教えたい!!自慢してまわりたい!!!
聞いてー!!担当アイドルがめっちゃ成長したんだよー!!褒めてあげて〜〜!!!!!
それだけでも最高のアイプロだな、と思えるのに他のシーンでもたくさん成長が見える素敵な台詞が散りばめられてて、こんな思いを出来るなんてP冥利に尽きます。
トップアイドルになるという漠然とした目標がしっかり見据えられた気がする。

 

これからも由愛ちゃんのやりたい事、思い描いてる夢を信じてる。

 

慈悲と慈愛、数日経ったらここのブログのタイトルにしよう。笑


あんまり言及しないと言いつつけっこう文章書いちゃったな!
久々にちゃんとイベントに参加して思ったのがやっぱりアイプロって楽しいな…ってこと。
そんな楽しいイベントに由愛ちゃんと一緒に参加できて幸せ。
やっぱり由愛ちゃんのことちゃんと好きだった。
いい夏だったなあ ありがとう由愛ちゃん
これからもよろしくね。

 


2017年9月13日アイプロ後のしなより

 

担当アイドルのアイプロが来る

 

この記事はわたしの意見、ではなく感想です。
感想というのもおこがましいくらい、思った事をつらつらと書いただけの作文です。
支離滅裂だけど許してね。
一生懸命頑張ってプロデュース活動をしてるPとか、担当アイドルの再登場が遅れてるPとかは怒るかもしれないから、見ないでね笑。

 

 

2012年夏、浴衣祭りガチャで成宮由愛ちゃんに出会い担当Pを名乗るようになってちょうど5年。
2017年 8月30日夜に告知された次回イベント。
"念願のアイドルプロデュースだ!ずっと待ち望んでたアイプロ!"
"担当アイドルがいるPなら誰もが喜ぶであろうイベントについに由愛ちゃんが…!!"
ちょっと前の自分なら手放しで喜んでたんだろうけど、予告を目の当たりにしたわたしの胸中は複雑だった。
今現在、ゲームのアクティブユーザーでもない、各メディア関連を追えてない、最新の情報すら把握できてない…
こんな状態でアイプロ出演を喜ぶ事に罪悪感を感じてしまう自分に対しても嫌気が差してしまう…というジレンマ。
でも由愛Pという肩書きは手放したくないというワガママ。よくないですよねえ。
Pとしての活動貢献度や課金額なんて比べるものじゃない、とは頭ではわかっているものの、自身が一番盛り上がってた時期をわかっているからこそコンテンツに対して何も貢献できてない自分に不甲斐なさを覚える。
イベント予告が出てTLのソワソワして嬉しそうな由愛Pを見てるのが楽しい、好きだなあと思った。これは今回に限らず毎回思ってる。
会話こそしないものの、由愛Pみんなの輪の中の1人でいたいという気持ちも多少あるのかなあ。
でもやっぱり由愛ちゃんの成長を見て感激する気持ちを共有したいのが1番かも。

 

ガチャやイベ上位で爆死して「引退してやる!」なんて言ってた頃が懐かしいと思えるほどこのコンテンツに熱を上げられなくなっていた。
声がついてないアイドルのPが報われないようなメディア展開に力を入れた事が目に見えて分かる数年だった。熱を上げられないようになるまで十分すぎる時間だった。
公式への愚痴ではないです。だってわたし以外の声なしアイドルPが楽しそうにコンテンツを応援してる姿を見てるから。それに、ここ数年でわたしは今現在、自分の人生で一番優先しようと思う事ができた。だからこれはPとしてのモチベーションを維持できなかった事に対しての自責。

 

イベント開始前の今、プチ鬱のような感情に苛まれているものの、実際にイベントが始まったらむせび泣いて台詞回収に勤しみ深夜にポエムツイートするのかな。現段階でどのくらいの時間を費やせるかはわからないけど台詞は全部自分で回収したいな。
手のひら返し、とか思われちゃうかな。それでも他人になんて言われようがまだ由愛ちゃんのプロデューサーを名乗っていたい。
自分がアクティブユーザーだった頃、新規や学生や活動範囲に限度があるPに対して
「自分のペースでP活動していけばいいよ、無理すると疲れちゃうよ、人は人だよ」
と思ってたし、由愛Pは優しい人が多いから今のわたしにもそう思ってくれてたら、いいなあ。エゴですけど。
アクティブユーザーだったけど別に何かに貢献できたわけではないですよ。笑
シンデレラガールズのアイドルは全員好きです。
自分の中で好きな順位こそあるものの、ほぼみんな一線上。
だけど由愛ちゃんだけは特別。
代わりのアイドルなんてどこにもいない。成宮由愛ちゃんが大好き。

 

アイマスPってなんなんだろう、と常々思います。
中でも特別面倒臭いPでごめんなさい。
ごめんね、由愛ちゃん。
それでも今回のアイプロは全力で楽しもうと思います。
今後の活動について考えるのはその後でいいよね。
俺たちの夏はまだ始まったばかりだ〜!!!
成宮由愛ちゃん大好き!!!!!!!

 

2017年8月31日アイプロ開始前のしなより

 

突然病気になって入院と手術をしたはなし(後編)

 

前編の記事はこちら

ingchinko.hatenablog.com

 

 

 

夏コミが無事終わりました。

だいぶ間が開きましたが無事新刊も出せたので後編を書きます。

前編と比べて長い上に痛みに苦しむ事もなくなった時期の内容なので、

エンタメ力は低いですが覚悟してください。

わたしが苦しんでる描写がないので全く面白くはないです。

ついでに体内の検査と手術の内容があるので前編よりも汚い話が多めです。ご注意を(>_<)

 

 

 

緊急入院

点滴が始まって数十分した頃、看護婦さんに案内され病室へ向かった。

病棟に着いてまずは身長体重を測る。まさかの身長が伸びてた。160cmだった!嘘だと思った。

そんな事を考えつつ病室のベッドに着き、早速やる事がない。

点滴の針は刺さったまま。本当にやる事がない。

食事はなし飲食は水のみ、お風呂には入れず体を拭いてもらえる程度。

入院して5日目の水曜日。横になりながらヒルナンデスを見てると美味しそうなご飯がテレビには映り、部屋には同室の患者さんのとっている食事の匂いが充満する。

空腹で初めて泣いた。

だけどその晩、金曜日ぶりの食事にありつけた。3分粥。ほぼ水だけどおいしかった…

空腹に勝る調味料はないな~と思いつつ、早くネギトロ丼が食べたいなとも思った。

結局1週間入院し土曜の昼過ぎに帰宅した。

突然に入院にも関わらず見舞いに来てくれた友人だけは何があっても大切にしなきゃなと思った!ありがとう。

 

 

病名と対策

最初の入院は「肝機能障害」という病名。

と言っても、おそらく胆管に石がつまってるせいで肝機能が機能してないという事だそうで。

断食をして点滴を打ち、しばらく続けると退院時には血液が正常な数値に近づいた。

 

するとその原因を作ってる石をどうするかという話になる。*1

食事が食べられるようになる前、内科の担当医と母を交えて話をした。

「手術で石を取る事はできますが、また石が体内で作られる可能性はあります」

つまり、石を取っても完治ではないよ、また発作が起こる事があるよ、という事。

完治とは?と尋ねると「胆嚢自体を摘出する」らしい。

えっ胆嚢ってなくても平気なの!?と驚いた後、摘出のメリットを聞いた。

メリットはこれから発作が起こる心配がなくなる事。食生活も治る。

デメリットは後遺症が発症する場合があるが、基本的にそんなにない。

じゃあいらないじゃん!と思い二つ返事で胆嚢を摘出する事にした。

手術の前に色々な検査をしなくてはならないため、実際手術できるのは1,2ヶ月後と言われた。

そうして、手術に期待を膨らませて退院手続きを済ませた。

 

 

 

退院後の食事

退院して2日後、まさかの発作が起きる。

次の日には胃カメラを控えていたのにまさかの発作。

遅い時間だったので病院に電話をし、救急で診てもらう事に。

胃カメラの前日には消化のいい物を食べるようにと伝えられていたのでその晩は半熟のゆで卵を食べたのだけど、それがいけなかったらしい。

その日診てもらった先生によると乳製品、脂質の多いものがアウト。

知らないしそれ退院する時に言ってよ!!!!!!!と内心思ったものの痛くて何も言えなかった。

ちなみに退院する際看護婦さんに食事はどう気をつければいいですかと聞いたが「消化の良いものならいいと思いますよ」と答えた。

消化の良い物、関係なかったです。

次の日胃カメラという事もありそのまま入院…という事も視野に入れつつ寝間着を持って来たがその日は点滴を打って痛みがなくなった頃に帰宅した。

 

  

 

胃カメラと大腸カメラ

来る胃カメラ当日。

これが地獄だった。もう二度とやりたくないと心の底から思う。

麻酔を飲み込んだ時点で既に吐きそうになる。というかちょっと嘔吐いた。

そして太くて長いカメラを口に入れられる。吐いた。

食事を取ってないから吐く物がないはずなのにずっと嘔吐いてた。

あの医者絶対に呪う!と思いながら長い20分が終わった。体感は3時間くらい。

目から鼻から口から体液を漏らしながら待合室に戻る。

もう二度と胃カメラなんてやりたくない。

 

翌週、今度は腸内内視鏡検査。いわゆる大腸カメラ。

ご高齢の患者さんばかりの中に投げ込まれた。

10人程でテーブルを囲み下剤の説明を受け、早速口にする。

まずいが飲めないほどではない下剤2リットル。

1時間後、まるで水のように出る便に肛門が耐えられなくなり、切れる。

元々切れ痔持ちなので柔らかく質の良いトイレットペーパーを持参したが惨敗。

午前中いっぱいを使い腸を空にし、午後からは実際に検査。

施術着に着替えて部屋に入るとなんと担当医の先生!嬉しい!

照れる事なく肛門が切れちゃったのでお願いします~と言って麻酔をたくさん塗ってもらった。

大腸カメラは難なく終了。

これで手術をする準備ができた。

 

 

 

2度目の入院と手術

6月23日朝10時、病院に着き入院手続きを行う。

前回は緊急入院だったためこんな手続きしてたんだな~なんて暢気に考えていた。

外科の病棟へ向かい病室に着く。

ヒルナンデスを見ながら食事を取ると、色々な科の先生が訪れる。

人の説明を覚えていられないので割愛させて下さい。

手術前にも腸を空にしなくてはいけないらしく、下剤を飲む。その後シャワーを浴びる。

夕方には執刀医の先生の話を聞くために呼ばれたが下剤のおかげで遅刻して席に着いた。

ちなみに下剤は夜頃効いてくるよと言われたのに飲んで2時間くらいで効きまくりました。

夜は食事も水分も摂取してはならないため早めに就寝。

 

目が覚め血圧、体温を測り手術用の浴衣に着替える。

手術室に入り先生方に挨拶をし、手術台に登る。

ちなみに手術室に入ると嵐のBGMが流れていた。

前日に「好きな音楽とかある?」と聞かれ、照れながら「Hey!Say!JUMPが好きです…」

と答えたにも関わらず、「Hey!Say!JUMPはなかったよ~ごめんね」と言われる。

照れ損である。

でもジャニーズを選んでくれるあたり優しさを感じました。嬉しいです。

正直UMP*2のイントロが流れたら逆に緊張していたかもしれない!これから手術なのに喜び悲しみ受け入れるってなんなんだ…

嵐の曲を聴きつつ、まずは左手首に点滴、全身に心電図をつける。

ものすごく緊張していたが、心電図をつけられた際「あ~心拍数がすご~い緊張してるね~w」とdisられた事はしっかり覚えてる。

その後脊髄注射を打った。これが相当痛かった!石の痛みほどではないけど。

針を見なかったのでわからないけど30センチくらいあるんじゃ!?ってくらい針が体内に入ってきた。

次は点滴に麻酔を加える。事前に10秒くらいで眠りますよーと言われており、

「ホントかよ~w耐えてみせるわ~www」とかナメてかかったら、3秒ほどで瞼が落ち5秒もしないうちに寝落ちた。

 

 

 

術後

目が覚めるちょっと前に夢を見た。トイレの夢だった。

看護師さんに起こされ発した一言目が「おしっこしたい…」だった。

この時から手術の痛みよりなにより尿管カテーテルが気になって仕方がなかった。

手術室を出ると両親に声をかけられたが麻酔のせいで覚醒してなかったためあんまり覚えてない。

ナースステーション近くの病室に運ばれ酸素マスクをつけながら過ごす。

尿管の違和感を訴えると座薬を入れられた。数時間すると違和感がなくなった。

両親が帰り夜になる。どうしてもテレビが見たかったため、こんな事で呼ぶのもな…と思いながらナースコールをした。

その日は手術跡の痛みと上手く尿管に尿を流せない苦痛に耐えながら無理矢理就寝。

 

翌朝体を慣らすため歩くリハビリを始めた。

徐々に体調も回復し昼には食事も出た。

術後一番ネックだったのは動けない事より手術跡の痛みより何より尿管カテーテルだった。

神経質ゆえにどうしても気になる。寝ている時も1時間に1度目が覚め、管をいじっていた。

だって流れてないし。

尿管カテーテルに精神を削られてる時のツイートがこれ。

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病んでる…

 

水曜に手術し、金曜には宿敵・尿管カテーテルも外した。

友人が見舞いに来てくれて心が元気になったせいか、退院したくて仕方なかった。

何より就寝時間を過ぎてからの部屋が暑い。

同室の患者さんがご高齢の方ばかりで夜に冷房を入れる事が許されなかった。

看護婦さんが点検しに来る度に「明日退院できますか?」と聞いていた。ご迷惑をおかけしました…

執刀医の先生からも許可が下り、無事土曜に退院した。

 

 

退院その後

手術後はおかゆだった食事を少しずつ米に戻し、脂質の高い食べ物も慣らすよう食べた。

本当に、めちゃくちゃ美味しい…!

ずっと食べたかったネギトロ丼は朝の築地で食べるという贅沢をし、

7月末には遠征のため出向いた仙台で牛タンを食べまくった。

広島ではお好み焼きも牡蠣も穴子も食べた。お酒も飲めるし揚げ物だって食べられる。

減った体重は戻りつつあるけど美味しいものが食べられる幸せに比べたらそこまで気にならない!

いや、まだまだ減量は続けるつもりなんですけど!

そして先日、8月末にめでたく完治になりました。

 

 

 

 

 

 

今回の病気について原因は食生活にもあるものの発作が起こるのは「遺伝のせい」と言われ、突然の発症から4ヶ月の闘病生活だったわけですが、

手術を終えてこのツイート。

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 神様は見てるんだなーと思いました。

十数年間「結婚できますように」ってお願いは聞いてくれなかったくせに。

 

ちなみに前編で書き忘れてたんですけど、石の痛みって背中まで痛いんですよ。

背中まで痛い時は体の下に堅いものを入れて紛らわしたりもして。

便秘でも胃痛でもなく定期的にみぞおち又は右上腹部と背中が痛い人は石かもしれないんで気をつけて下さい。

同年代の人はなかなかいないみたいですけど!

 

なにはともあれ、おかげさまで完治になりました。

皆さんご心配をお掛けしました。

お見舞いに来てくれた友人だけは何があっても一生大切にしなきゃなと思いました。

健康最高!!美味しいごはん最高!!!

 

 

*1:病名は「胆管結石」

*2:Hey!Say!JUMPのデビュー曲「Ultra Music Power」

突然病気になって入院と手術をしたはなし (前編)

 

突然ですが、6月24日に手術をしました。普通の人より消化器官がひとつ欠けた人間になりました。

twitterでもぽつぽつと入院するー手術するーくらいしか言ってなかったし、貴重な体験ができたのでせっかくだし文字に起こして公開してみようと思いました。

あと同じ症状の人がいらっしゃったら参考にしてほしいな〜と思ったんですけど、おそらくまるで参考にならないと思います。すいません。

文章力のない人間がレポすっぞ〜wくらいの気持ちで書き連ねたものですので読みやすさに期待しないでください。

とても長いので暇で暇でしょうがねえしぬかも!って時に読んで下さい。深刻にとらないでエンタメ程度の気持ちで読んで下さるとありがたいです。

後編は夏コミが終わってから書きます、多分。原稿中なので。

あと普通に病気の話なので汚い話も出てきます!ご注意下さい(>_<)

 

 

最初の発作

4月8日。

仕事から帰宅しダイエット中なので夕飯代わりのヨーグルトを食べ、それからしばらく経たないうちに突然の腹痛に襲われた。

 

トイレに行っても収まらない痛み。痛む場所はみぞおちあたり。

痛みで涙が止まらなくて次第にまともに立っていられなくなった。

あ、これはやばいなと思い母に訴えるもおおげさすぎ(笑)と一蹴される。が、救急に行きたい!と更に訴え続けた結果、腹痛は内科だよね?などと相談しながら救急病院に連絡を入れてもらう。

父の帰宅と同時に車で病院へ向かってもらった。

病院に着き母が受付をしてる間に待合室の椅子に体を丸めて腰をかけていると、なんと急に痛みが引いた。汗も涙も引く。どうしよう、きっとすぐ診察室から声がかかる…

母が受付を済ませ隣に座った時正直に「もう痛くない」と白状した。とんでもなく怒られた。

診察室に入り先生にも白状した。苦笑された。まあ何もなさそうでよかったですよ(笑)なんて言われて申し訳ない気持ちになりつつ、会計はなしでそのまま病院を後にした。

帰りの車中では「もうあんな恥ずかしい思いさせないでよ、1,2時間くらい我慢してから痛いって言ってよね」とまた母に怒られた。でも本当に痛かったんだよと思いながら自分も病院では恥ずかしい思いをしたので、はい…としか言えなかった。

最初の発作は、それでおわり。

 

 

二度目の発作、最初に処方された薬

次の発作は一週間ほど経ってから。

二度目は激しい痛みではなかったのか、あまり記憶がない。

ただツイッターを振り返ったら胸の下がチクチク痛い、と呟いていた。

それがあって翌日、午後休をもらい先日と同じ病院の内科に向かう。

この時点で体重が8kg減していた事もあり、痛みが落ち着いてから「ダイエットと腹痛はイコールなのでは?」と思い軽く調べていた。

その結果、体重減少によって起きた便秘を疑った。ほぼ確信した。恥ずかしい。便秘でこんな泣くほど大騒ぎするなんて。確かにここ数日まともに出てない気がする。恥ずかしすぎる…

そう思いながら診察中、救急の時と別の若い女性の先生に便秘ですかね…?と聞いてみた。

左下腹部を押される。腹の肉が多くてわかりにくいよね、ごめんね。

「うーん…そうですね。とりあえず便秘薬出しておきます。便を柔らかくする薬と下剤ですね。柔らかくなる薬を飲んでも効かなかったら下剤のお薬を飲んでくださいね」(※マグミット、センノシド錠セイコー

この日の診察は薬を出されて終了。

自分で便秘かもと言ったせいかもしれないけど、そうですねと言い便秘薬を処方した若い女性医師の事は忘れない。

 

 

便秘じゃない

病院から処方された薬というお守りを手に入れた安堵感とは相反し、毎日夜中に痛みで目が覚める。

そんな状態が続き一週間も経たない頃、4月27日、二十数年間生きた人生で最強の腹痛に合う。

相変わらず痛みで目が覚め「ああまたか…」なんて思って強く目を瞑りもう一度睡眠に入ろうとした時、急激な痛みに襲われる。

お腹が痛くなると便が出ようが出まいがトイレに入る癖があるので、とりあえずトイレに入る。痛い!どうしよう。普通に座ってられない。足を壁に付け足踏みをしまくる。そんな事してもよくはならないんだよ…わかっているのに止まらない。痛さでじっとしていられない。涙も止まらない。吐き気もしてきた。暑いせいか痛みのせいかわからないけど汗が全身から噴き出してる。

トイレを出その日の晩に使ったバスタオルを引っ張り出し、汗と涙と涎を拭いながらくるまる。ちなみにトイレを出てすぐの狭い廊下で倒れ込んでそのまま。この時の痛みは今思い出しても涙が出そうになる。とにかく辛い。

下の階から母親が駆けつけてくれるがどうしようもない。ひとまず、と言い先日処方されたお守りもとい、便秘薬を持ってきてもらい手を付ける。下剤は8時間後に効果が出るらしく、待てるかよ!!って気持ちだった。

救急行く?と言われるが前回の事がトラウマになって行く気にはならなかった。

しばらくすると騒ぎ疲れたせいか眠くなってきた。もしかしたら自分は赤ん坊かもしれない。

痛みはあるもののこのままだったら眠れる!と思い、そのままベッドに入り眠りについた。

朝になり目が覚めると驚くほどケロッとしていた。ただ寝不足で心なしかやつれている。疲労と睡眠不足が残っていたので1時間遅刻し出社。

元々便秘とは無縁の下痢症のわたし。その日は便秘症の友人達に薬を飲むコツや痛みに耐える方法などを教えてもらった。その知識はいつか役立てたいと思います。

 

 

安定期

来るGW。友人と遊ぶ予定でいっぱいだった一週間。

コンサートや舞台を観劇し美味しいご飯を食べる。

今考えると恐ろしいスケジュールと食生活だったが、なんと一度も発作は起きず。

久々に会う友人に糞詰まりで死ぬとこだった~wなんて既に笑い話にしていたが、無知って恐ろしいね。治った気で離してたけどこの時点で全く治ってません。

 

 

5月15日

GW一週間後、5月15日昼、久々の発作が起こる。

もうこの頃になると頭の中であーまたねハイハイ…から始まり状況を整理しこれから寝るまでどう過ごせば楽かな、とまで考えられるようになっていた。

自宅で昼食を済ませた後すぐみぞおちに激痛が押し寄せた。しかしこの日はいつもと違った。とてつもなく気持ちが悪い。吐きそう。

昼食はカレースープとパン。気持ちも悪いし食べ過ぎたかななんて思っていたらまた汗と涙が止まらない。午後からまた出社しないといけないのに立っていられないという不甲斐なさで悲しくなって涙が出た。一応補足しておくけど仕事が好きなわけじゃない。

ダメだ、このままじゃ会社に戻れないやと思い連絡を入れそのまま病院へ行く。

今までこの件では2回病院に行ってるが発作中に病院に行くのは実はこの日が初めて。

そして向かった先は以前便秘薬を処方した病院ではなく、近所の小さな内科医院。

この病院来るのは15年ぶりくらいかなあなんて思いながら受付を済まし診察室へ。

体重を聞かれ痛みを説明し触診され、これは便秘ですか?と思い切って聞くと「違うよ」とバッサリ。やっぱり。

その後血液検査を採り、レントゲン、心電図を済まし痛み止めの注射を打ってもらいその日は終了。明日検査結果出るから午前中来てねと言われたけどまだ痛いしまだ涙が出てくる。

病院側のご厚意で、痛みが引くまで寝てていいよと言われベッドに横になった。30分程経っても痛み止めは効果あったのかな…と思うくらい地味な痛みがチクチクある。けどここにいても携帯もいじれないしやることないし…と思いもう大丈夫です帰りますありがとうございます、とお礼を言い会計して病院を出た。検査費が地味に痛かった。

 

帰宅してもまだ痛い。午後一に病院に行ったはずなのに今はもう18時前。7時間も痛いのかと思いながら先ほどお世話になった内科病院に電話し今からもう一度伺ってもいいですか?と連絡を入れた。

そして這うように病院に向かい、とりあえずベッドに寝かせられた。

「助けてあげたいのは山々なんだけど、もう病院が閉まる時間なんだよね」

つまり、ここじゃ何もできないよと。「大きい病院に連絡入れたから点滴だけ打ってもらおう」との事でまさかの便秘薬を処方した病院に再度向かう事に。嫌だ…

だけど一刻も早く休まりたい気持ちが勝りそのまま自転車を漕ぎ縋る思いで病院に到着。

救急患者が多かったのか長い事待たされる。ようやく名前を呼ばれ診察室に入り早速点滴の準備。人生初の点滴。看護婦さんに用意されてる間に先生が来る。この前の若い女の先生じゃない!よかった…

●●内科さんから連絡があったから点滴するけど、血液検査もしとく?と聞かれたが費用の事を考えたら寒気を感じたので、●●内科さんでしてきたので結構ですと断った。

約30分後、点滴が終わるも吐き気が納まらない。

看護婦さんに点滴を入れた事によって吐くとかありますか?と一応聞いてみたがそんな事はないよ~と言われ診察室を出る。

すぐにトイレに駆け込み、吐いた。全部吐いた。鼻からも出た。やったー!楽になれるー!

元々吐く事が大の苦手で十代の頃はストレスで一度、酒で潰れて二度しか吐いた事がない人間だから、自力で吐けた事が嬉しくてはしゃいで回った。

余談だがその日はファンクラブに入ってるアイドルグループのコンサートの申し込み〆切。この日にいっぺんに済まそうと思ってたけど物理的に無理。振込用紙の記入は既に終わっていたので母に泣く泣く頼み、銀行からお金を降ろし振り込んでもらうとこまでしてもらった。

そんな母親に吐き追えてから連絡を入れ、点滴を打ったとはいえフラフラだったので両親に車で迎えに来てもらった。車中、吐いたら楽になったなんてやっぱり食べ過ぎかなあ、恥ずかしいな…明日検査結果聞きに行きたくないななんて思いながら帰宅した。

その日の夜のツイートを振り返ったらアイドルの画像を可愛い~なんて文字と一緒に延々貼ってた。余裕かましすぎ。

 

 

5月16日

翌日朝。体に疲労は残るものの、症状は回復。

早く病院済ませて一日ダラダラするぞ~なんて思ってたせいで目覚めがよかった。ていうのは表向きの言葉で、前日医者に何も食べるなと言われたから単に空腹で目が覚めただけだと思う。しかし早く病院を済ませたかった事には違いないのですぐに検査結果を聞きに病院へ向かった。

ただの食べ過ぎだなんて恥ずかしすぎる…これで検査結果異常なしとかだったらもう二度とこの病院に来られない恥ずかしすぎる…と照れながらヘラヘラと受付を済ます。

診察室に通され、食べ過ぎぽくて吐いたら治りました~と言うつもりだったのに

 

「血液検査出たけど、異常すぎるよこの数値は」

 

なんて言われちゃって思わず笑ってしまった。

嘘だろ!?それ多分バグってるよ~検査した機械が壊れてたんじゃないの?wwwと本気で思った。とにかく可笑しかった。ヘラヘラしてたら怒られた。

そしてそのまま超音波検査とるよと言われ、検査室に入り腹部をぐりぐりされる。

 

「うん、やっぱり石があると思う」

 

い、石~~!?嘘だろ機械バグりすぎ~~!!!

なんて一瞬思ったけど、すぐに冷静になった。

「胆嚢の中に石がいくつかできてて、その石が胆嚢から出ようとすると発作が起こるんだよ」と説明されても全く意味がわからない。けど先生も看護婦さんもすっごい真面目な顔してるからこっちもつられて真面目になってしまう。待ってそもそも胆嚢って何?

理解が追いつかないまま「胆石に強い地方病院を紹介するので今から向かって下さい」と言われドキドキしながらはい、と返事をした。

「多分、即入院する事になると思う」と言われ思わずまた脳内で草を生やしてしまった。

病院を出、「今からバス乗って電車乗って○○って病院に向かわないといけないらしいwww」と母に電話し、一旦家に戻る事にした。

家に着くと私よりも若干母の方が緊張していたように思う。母と二人で地方病院へ向かった。

 

 

地方病院にて

土曜だった事もあり、病院に着いてから待たされる待たされる。

救急車で運ばれる患者さんが多い中、一人元気すぎる私はずっとヘラヘラしていた。

ちなみに前日から37.0~38.0度の熱があった。それでも元気だからヘラヘラしていた。

診察室に呼ばれ●●内科が作った紹介状を読む先生に症状を聞かれる。正直に言うと「でも今元気なんだよね?」と先生に嘲笑された。こっちも負けじと嘲笑しながら「元気です」と答えた。

じゃあとりあえずしょうがないから…と言いたげな顔で血液検査を促された。

血液検査の結果が出るのは1時間くらいかかるらしい。救急の待合室で泣き喚く小さな子供を見ると胸が痛かった。元気なわたしが同じ空間にいてごめん。早く帰りたい。子供の泣き声がつらくて気を紛らわすためにこの後なんか外で食べよう~ネギトロ丼がいいな~と母親に話しかけてた。

診察室に呼ばれ結果を聞くと「即入院ね」と言われた。

先生の顔つきもさっきと違うじゃん!なんなんだ!役者か!

元気そうだけど血液すごい事になってるよ、これは緊急入院です。入院期間はだいたい一週間を考えててね。親御さんに着替えとか諸々持ってきてもらってね。との事。

そしてすぐ入院の支度をするから点滴を打ちながらここで待っててねとベッドに横たわる。

わたしは即、点滴の刺さってない方の左手で、ツイッターをした。

 

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俺達の入院ライフはまだはじまったばかりだ!

つづく